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身体は3Dの曼荼羅(まんだら)だった。

アリゾナの解剖研修から戻って以来、あれはいったい何という体験だったのだろうと自分で自分に問いかけていた。




昔々、ネパールでヒマラヤのトレッキングをし、インドのあちこちを旅した後に、プーナで一カ月くらいのペインティング ワークショップに参加したことがある。毎日いろいろな実験を繰り返しながら最後に大きな紙を2枚つなげて1枚にして、樹々や草花を見ながらそこに色を重ね続ける。

時には乗せた色を水で洗い流す。タイミングが良ければ表層の色の一部が流れ、以前の色が蘇る。そこにまた色を重ねていく。インク、水彩、アクリル…様々な絵の具を使う。色を乗せるのに、ブラシ、スポンジ、木の葉っぱ、手のひら、足の裏、様々な道具を使う。

時に悩んで何もできなくなり、時に泣きながらスポンジを握りしめていたこともある。周囲の参加者も同じようにそれぞれのプロセスを歩んでいた。このエンドレスな作業が終わるタイミングは「ワークショップの最終日」。そうでなかったら、もっともっと続けることができただろう。

未完のその絵を数日間、展示する。自分だけじゃなくて参加者全員の絵が並ぶ。その1つ1つの前に立ち、絵を眺めたときに不思議な気付きがやってきた。出来上がったその絵はどんなに大きくても一瞬で見ることができる。しかし、その一瞬の裏には一カ月の、もしかしたらその人の人生全部が隠されている。何もかもが凝縮された絵の前に私は立っているのだ、と。

曼荼羅ってこういう絵のことだろうか。宗教的な意味合いでなく「曼荼羅には森羅万象が含まれている」と聞いたことがあって、目の前の絵が曼荼羅ではないかと思えた。絵を描くエンドレスなプロセスは人生、ワークショップ最終日は死の瞬間。全部が凝縮された絵の展示会は、別の世界から人生を振り返る時間。


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一人のヒトの中に、形、機能、全体、部分、死、生、異常、正常、意図、感情、思考、歴史、時間、様々なものが凝縮している。そのことを思い出したら、ふっと上記の絵画のことを思い出し、曼荼羅のことを思い出した。多次元の世界を二次元に表したものが絵画としての曼荼羅だとしたら、身体は多次元の世界を三次元に表した曼荼羅ではないだろうか。

死は、二つの異なる世界をつなぐドアであり、身体を連れてそのドアを通ることができない。ドアを通り抜けるとき、身体を置いて新しい世界へ旅立つ。置いていかれた身体は、時間も空間も、過去も未来も、物質も非物質も、動きも静止も、有も無も、なにもかもを含む三次元の曼荼羅。

アリゾナの研修は、その貴重な曼荼羅に触れさせていただいた体験だった。
そう思ったら、バラバラに浮遊していた思考や感情がヒュッっと1つにまとまった。

自分のハート(心臓)に手を置いて鼓動を確かめる。いつ、この人生というワークショップの最終日を迎えるか分からなくても、その瞬間がくるまで、三次元の曼荼羅は一瞬の休みもなく活動しているのだ。身体は精神、心、魂の乗り物。感謝とともに大切にしよう。

今の理解を、ここに記す。





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プロフィール

木村まや

Author:木村まや
1994年にクラニオセイクラル ワークに出会い、それからずっとこのワークの探求を続けています。

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