光の河
- 2015/12/07
- 11:06
クラニオセイクラルのワークを始めたDr.サザーランドは、晩年になって「身体の中に光を感じる」と言ったそうです。身体の中心にある脳脊髄液が最も光を持つため「液の中の光」と表現したとのこと。当時は触診から知覚した感覚から言うしかなかったのでしょうが、今は量子物理学(素粒子物理学)の世界で生物の中に光子があること=生物光子(バイオフォトン)の存在の研究が行なわれています。サザーランドの言った光を、物理の世界から証明できる日も近いかもしれません。
クラニオセイクラル バイオダイナミクスの分野では、その後、その光はポーテンシー(潜在力)と呼ばれるようになり、生命力そのものと考えられています。ポーテンシーは人の身体の中で生まれるのではなく外部から取り込まれ、同じ力(force)は銀河を生み出し維持する力でもあり、人に限らず生命を生み出し維持する力とも言われます。
クラニオセイクラル バイオダイナミクスの基礎トレーニングも終りに近づくと、数年かけて身体を整えてきた生徒同士でもあり、実技の中でその光を感じる人も少なくありません。私自身、一般のセッションの中で毎回ではありませんが、光を感じることはあります。そして時に感動的なほどに大量の光に出会うこともあります。
例えば、こんなことがありました。余命宣言されたと言う方が出張先でセッションに来られました。患部を切除したり、放射線を使うような西洋医学的な治療は望まず、ダメモトで代替医療となるものをいろいろ探しているとのことで、クラニオも何度か受けているとのことでした。そのセッションの最初のハンド ポジションでは私が息苦しさを感じ落ち着かなかったので、仙骨のハンド ポジションに移りました。すると…。
相手の身体に意識を集中せず、宇宙につながるほどに意識を広く持ち、自分の姿勢と内面を整えていて、ふと気付くと…。クライアントも自分も光の大河の中に浮かんでいました。視野に入りきらないほどの光の粒がゆっくりとクライアントの頭方に向かって動いていく、でも、その動きはほとんど止まっているくらい。それまでの体験を超え、理解を超えていましたが、あるがままに受け入れ、そのまま光の中に浮かんでいました。
時間の感覚がほとんどなくなり、いつまでもそのままでいたくなるような心地のよさ。しかし、残念ながら次のセッションもあるので区切りをつけなくてはいけません。その日のセッションはそれだけで終りました。
あれは何だったんだろう。何か大きなものに包まれるような感覚。起こそうとして起こるものでもなく、起こすまいとして止める事ができない現象。いろいろと理由を考えてみるに、からだの領域を超えたポーテンシーのサポートを受けたのではないだろうか。その方は、定期的に地元でクラニオのセッションを受けていて、医師から宣言された余命期限はとうに過ぎたそうです。
サザーランドもこのような光の経験をしたのでしょうか。とても貴重な体験でした。
クラニオセイクラル バイオダイナミクスの分野では、その後、その光はポーテンシー(潜在力)と呼ばれるようになり、生命力そのものと考えられています。ポーテンシーは人の身体の中で生まれるのではなく外部から取り込まれ、同じ力(force)は銀河を生み出し維持する力でもあり、人に限らず生命を生み出し維持する力とも言われます。
クラニオセイクラル バイオダイナミクスの基礎トレーニングも終りに近づくと、数年かけて身体を整えてきた生徒同士でもあり、実技の中でその光を感じる人も少なくありません。私自身、一般のセッションの中で毎回ではありませんが、光を感じることはあります。そして時に感動的なほどに大量の光に出会うこともあります。
例えば、こんなことがありました。余命宣言されたと言う方が出張先でセッションに来られました。患部を切除したり、放射線を使うような西洋医学的な治療は望まず、ダメモトで代替医療となるものをいろいろ探しているとのことで、クラニオも何度か受けているとのことでした。そのセッションの最初のハンド ポジションでは私が息苦しさを感じ落ち着かなかったので、仙骨のハンド ポジションに移りました。すると…。
相手の身体に意識を集中せず、宇宙につながるほどに意識を広く持ち、自分の姿勢と内面を整えていて、ふと気付くと…。クライアントも自分も光の大河の中に浮かんでいました。視野に入りきらないほどの光の粒がゆっくりとクライアントの頭方に向かって動いていく、でも、その動きはほとんど止まっているくらい。それまでの体験を超え、理解を超えていましたが、あるがままに受け入れ、そのまま光の中に浮かんでいました。
時間の感覚がほとんどなくなり、いつまでもそのままでいたくなるような心地のよさ。しかし、残念ながら次のセッションもあるので区切りをつけなくてはいけません。その日のセッションはそれだけで終りました。
あれは何だったんだろう。何か大きなものに包まれるような感覚。起こそうとして起こるものでもなく、起こすまいとして止める事ができない現象。いろいろと理由を考えてみるに、からだの領域を超えたポーテンシーのサポートを受けたのではないだろうか。その方は、定期的に地元でクラニオのセッションを受けていて、医師から宣言された余命期限はとうに過ぎたそうです。
サザーランドもこのような光の経験をしたのでしょうか。とても貴重な体験でした。
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