「導かれる」とクラニオ
- 2023/03/12
- 11:52
「導かれる」
これは、バイオダイナミクスのクラニオで、良く聞く言葉。セッションの手順が決まっていないので何故そこに触れようと思ったのですか?と聞かれることもある。10ステップ プロトコルと呼ばれるバイオメカニックのクラニオのセッションのときは触れる場所、順番が決まっていた。それには「解剖学的」「生理学的」な理由があった。ではバイオダイナミクスのクラニオでは、どうやってハンド ポジションを見つけるのか。
バイオダイナミクスのクラニオでは人に触れる前に自分自身を整える、プラクティショナー ニュートラル(施術者中立位)というステップがある。人によって知覚に違いがあるが、私の場合、自分自身をニュートラルにしていると、身体を濃淡で感じたり、流れの状態から手を差し伸べたくなるところが見えたりする。もしくは「パッと」その場所が思い浮かんだり。以前は、解剖学的なつながりで理解できないときは、その直感とも呼べる感覚に従うことに躊躇があった。あまりにも今の場所とつながりがないので「私の」無意識の好みがそれを選んだんじゃないか?とか。それが、試行錯誤しながら何年も何十年も経験を積んでくると、やってくる感覚が「私から」なのか「もっと大きなものから」なのか、違いが分かるようになってくる。
解剖学的・生理学的な知識をベースにしたセッションも有効だが、それだけでは「私」を超える、もっと大きなものから受け取るという、バイオダイナミクスの本質の部分がなくなってしまう。そして直感には知識が必要でもある。だから最初は知識をベースにしながら「熟成」という時間が必要。ワインやウィスキーが樽の中で熟成されるように。
ただしクラニオのプラクティショナーは閉じこもって眠りにつくのではなく、セッションを続けながら常にニュートラルであろうとする意識を保ち続ける必要がある。常に新鮮に流れ続けるものに注意を払う必要がある。「気をそらさずにそこにいる」「何に注意を払うのか知っている」「生命の潜在的な能力の可能性に開いている」という意識を保ち続ける。それを何年も続けていると「導き」のサインが分かるようになる。分からない時は、分かった振りをせず分からないと降参する。大いなるものに対して誠実であること。こうやって自分をさらに熟成させていく。
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